きいちご日誌

チームきいちごのメンバーによるブログです

…性教育って、そもそも何?

こんにちは、チームきいちごです。

 

今回は…割とアレな題名ですが「性教育」というものについてのお話です。

※部分的に、少し直接的な単語が出る場合があります(出来るだけオブラートや言い回しを考慮したいとは思うのですが…)

 

皆さま、「性教育」と聞いて何を思い浮かべますか?

最近は随分ネットでも学校などの教育機関でも「性教育」という言葉が登場する様になってきました。とはいえ、本当にここ数年といった感じでしょうか。

性教育」…と聞いて、セックス(性的行為)の教育(指南)だと思う方も一定数いるかと思います。これは「性」と「セックス」の意味合いの事故でもあるのかもしれませんが、「性教育」とは性的行為についての教育では特にありません。もう少し正しい言い方をすると、性的行為自体ではなく、それをも含めての様々な要因やそれに関わる色んな事を指します(なんて分かりにくい言い方…!)

 

本の学校では、保健科や家庭科の時間を中心に行われ、体や心の変化(第一次性徴及び第二次性徴、妊娠と出産、男女の相互理解と男女共同参画社会、性別にとらわれない自分らしさを求めること、性感染症の予防や避妊などの内容が扱われている。近年ではLGBTなど多様な性についても言及するようになった。

Wikipediaより)

 

Wikipediaさんの分かりやすいまとめを引用させて頂きますね…!

 

「セックス」という言葉は日本では性的行為を指す事がほとんどですが、海外では性別などのジェンダーとしての意味合いもあります。それと同じで「性」という言葉に引っ張られ、何となく「性的行為の事」と思われてしまう事が多くありますが、実際はそうではないのです(18禁のネタとして使われてしまっている所はありますが…)

 

さて、この「性教育」ですが、最近よく聞かれるようになり、学校で習った(性教育という言葉のもとでの授業があった)という方もいるかもしれません。

ただ、誤解しないで頂きたいのですが「性教育」という言葉が無かっただけで、それ以前の学校で教育を受けた方が一切の性教育を学んだ事がないわけではありません

性教育」とは、ようは総合教育の一つです。男女の身体の作りや違い、思春期やホルモンによる感情の変化、ジェンダーによる差別や権利の問題、個の権利と思いやり…などなど。こうした事は以前は保健体育の授業や社会科の授業で分けて触れていました

そうした限られていた事を総合教育としてまとめたもの…というとイメージしやすいかと思います。実際、内容も同じ物が多く存在します。

 

この総合教育ですが、良さとしてはやはり色んなものはどこかで相互作用があり、紐付いているという意味ではとても素晴らしいものです。

例えば、子どもが生まれる為には男女の関係が必要で、でもそのためにはまずお互いの事を理解して同じ思いであることを確認し合っているか、どちらか片方の独りよがりではないか…と「子どもが生まれる」はその事象だけではなく、そこに行くまでに「権利」「話し合い」「思いやり」「肯定感」「知識」など様々な事が必要になり、それは本来切ってはいけない内容です。それを紐付いて学ぶのはとても大事な事です。

ですが、総合教育の難しい所として…とにかく情報が多くなってしまいがちになります。

今お話しした「子どもが生まれる」例を、一回で理解してもらおうと話すと、あっさり何時間コースに!となります。日を跨ぐにしても、記憶はやっぱり新鮮な方に行ってしまいますよね。

そして何より、聞くのも面倒くさくなってしまう(この辺は私の文章の至らなさも多分にあったりします…)

 

こんな背景もあり、何となく「性教育」のどこかを区切って話す事が多くなっている傾向が、現在あります。

そして客観的に見ても特に多くピックアップされやすいのが、性教育の中の「セックス」「避妊」「生理」と言った部分でしょう。

このピックアップされやすい内容も、勿論「性教育」の中の一分野なので間違ってはいません。ただ、この一分野を「性教育の全て」と思われてしまうのは誤解です、となります。(その誤解を招く書き方をする方もいるし、あくまで一分野と明記される方も勿論いらっしゃいます)

 

私たちチームきいちごは「性教育」の中の「権利」についてどちらかというと重きを置いてお話しさせて頂いていますが、やはり「セックス」や「避妊」「生理」の話もまた話し合い、発信はしています。

こうした性教育の中のものは、様々な側面から見る事ができ、例えば「避妊」について、避妊具自体の話、避妊具を手に入れるルートの話、避妊具を使用する理由について体の側面の話、心の話、そもそも避妊具を使用するという思いやりの話、使用してと言う権利の話…この全て、これ以上にも「避妊」についてだけで存在します。

この一つの分野にすらたくさんの派生があり、「性教育」についてお話する方は限られた時間や文字数の中で選択されて話している事が多いかと思います。

そういう意味では、色んな方のお話しする「性教育」が必ずしも間違いではないのです。ただ、やはり「性教育」の全てでもありません(我々チームきいちごも同じくです)

 

また「性教育」について難しい事の一つですが、2020年8月現在、「性教育のプロ」というのは申し訳ないですが全て「自称」となります

というのも、性教育についての公的資格が存在しないのです。ようは学校の先生や幼稚園の先生などといった公的資格がありません。現在は一部の民間団体が認定書の様なものを配布していたりする様ですが、国から定められた規定が存在しないため、必ずしも「プロ」「先生」かと言われると疑問は残ります。

また国として明確な「性教育」の内容についての要項が詳しく定まっていないため「性教育」について発信している人たちの内容が、大まかには同じでも細部によって違う場合もあります。(例えば性教育でよく言われる「性をオープンに」という言葉について、きいちごは必ずしもオープンにする必要は無いと考えています)

現在「性教育」についてお話しされている方々は、何かしらの医学についての国家資格や教育機関の国家資格を持っている方が多く見受けられます。とはいえ、そうした国家資格を持っているから安心ですと言い切って良いかは正直な所わかりません。これについては、お医者さんや助産師さん、先生にも色々な人がいるので…という枕詞がついてしまうからです(この辺りは、今後「性教育」の国家資格ができたとしても同じかと思います)

とはいえ「お金をもらって性教育の発信をしてるならプロだ」「教壇に立つならプロでは」という見方もできます。また周りの人がプロと思う行動や、思わせる行動についてはどんな理由をつけたとしても責任あるものでなければいけないと感じます。

そこはプロアマというより、発信する者、教える者としての認識、また他者に「教育」と名の付くものを伝える事への責任感と責任を持つ必要性のお話になるかと思います(勿論チームきいちごも例外ではありません)

 

性教育」については、誤解を受けてしまう名称や、国が明確に定めた規定においての教育者が存在しないため、とても大切な分野なのに曖昧になってしまっている、という現状があります。

 

そして、とても憤りを覚えますが…「性教育」という言葉を隠蓑に使っているよからぬ人も少なからず存在します

性教育」という言葉のもとであればセクハラじゃないと言い訳して嫌がらせをする人。

性教育」を一緒に学ぼうと下心を隠して近づく人。

性教育」の授業や「性教育」と書いてあるネットの内容を盾に、恥ずかしくない事だから話せと強要する人。

これは個人の倫理観による所が大きく「性教育」が悪いとは言えません。悪意を持つ人というのはどんなものも利用しようとするものです。そして真剣に向き合っている人ほど被害に遭いやすい悲しい現実もあります。これに関しては「性教育」を発信する側や学校の先生などは、そうした事例もある事は頭に入れておく必要があるかもしれません。せっかくの総合教育がセクハラの温床になってしまうのは、本来避けなければいけない事例です。

 

と…「性教育」について長くなってしまいましたが、大まかにはこうしたものです。

とはいえ、途中でお話した様に現在国からはっきりとした詳しい要項が無いので、そうしたものがまとめられ、発表されればここから新たに「性教育とはなにか」の話が変わるかもしれません。

また、今回はチームきいちごとしての情報や意思と、客観的に見ての視点での説明となります。他の「性教育」を発信している方々とは多少の差異はあるかもしれません。それも含めて現在の「性教育なのかな?と思って頂けたらいいのかな?と思います。

 

長文お付き合いありがとうございました!